新メルマガ、”魂に効く絵本 ~絵本は恋に似ている~”の創刊号をとうとう発行した。
遅筆のため、毎月15日発行の予定だったのに、16日朝4:30発行(苦笑)。 もちろん、早起きして4:30なわけではありません。 15日中に発行することができず、苦吟して苦吟して、空が白みかける頃、やっと発行できた、ということです・・・ しんどかった~ 記念すべき創刊号は、時節柄、「クリスマス特集」。 --------以下、新メルマガ創刊号を一部改変、加筆訂正したものです------------ 取り上げたいと思っている絵本は、 『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。 え?どうして?ツリーもサンタも出てこないよ? と不思議に思われたあなた。 ”クリスマス”って、いったい何の日でしょう? 子どもがプレゼントをもらえる日でしょうか。 若い男女がデートをする日でしょうか。 私は、そうじゃなくて”分かち合う日”だと思っているのです。 本来、クリスマスはイエス・キリストの誕生日、 キリスト教の信者の皆さんが、主イエス・キリストの誕生日を祝うお祭りです。 しかしもっとそれはキリスト教が普及してから結び付けられたことであって、 さかのぼればもともとは冬至のお祭りだったようです。 (クリスマス・ラブ 「イエス・キリストって本当に12月25日に生まれたのですか?」 を参照ください) クリスマス・ツリーの起源は、 雪に閉ざされ飢えに苦しむ鳥たちへの プレゼントとして 冬が極まる日である冬至に 麦の穂などを庭先の木にくくりつけたことだ と聞いたことがあります。 夜が一番長くなり、寒さが究極を迎える冬至。 文明の発達した現代と違い 寒さや雪が 飢えや死と直結していた時代に、 「今が一番つらい時期だけど、ここさえ乗越えれば春が来るから」 と隣人同士お互いに励ましあい、 乏しいたくわえを分かち合う日だったのではないでしょうか。 それがパーティの開催やお互いのプレゼント交換など、 現代の風習につながっているのではないかと 私は解釈しているのです。 そして、体が小さく弱い存在である鳥たちへの施しに象徴されるように、 老人や病人、子沢山の家庭など、社会的に弱い立場の方々へ 特に手を差し伸べる日だったのではないでしょうか。 実際、西欧キリスト教社会では、クリスマスは施しや慈善活動など、 弱者へ手を差し伸べる日ですもんね。 なんせ、神が人を愛するあまり、ひとり子を遣わされた日ですから(^^) ツリーもサンタも、クリスマスという単語すら出てこないけれど、 ”分かち合い”がテーマと言う意味では クリスマス精神を強く伝える二冊の絵本 『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』。 ご紹介いたします。 ● 『すてきな三にんぐみ』 トミー=アンゲラー、偕成社 ~~あらすじ~~ 黒マントに黒ぼうしの三にんぐみのどろぼうは、 通行人を襲っては宝ものを奪っていました。 ところが、ある日襲った馬車には、 みなしごのティファニーちゃんが一人乗っているだけでした・・・ 「えものは なんにもなかったので、 かわりに ティファニーちゃんを だいじにかかえ、 かくれがへ・・・。」 そしてその日を境に 三にんぐみの毎日は、 奪う日々から、 与える日々へと変わっていったのです。 ':・:*:. ☆ .:*:・:' 与えることの豊かさ。 喜ばれることの豊かさ。 奪うことではなく、 与えることによって初めて人は心が満たされる。 要求して、奪いつづけた 三人組み。 いつまでそれを続けても 満たされることはなかった。 でもある日、彼らの存在を必要としてくれる幼い少女に出会った。 与え、喜ばれて、初めて心が満たされる感覚を知った。 相手が幼く無邪気で、素直に喜んでくれたこと。 ここがポイントなんじゃないかなと思う。 相手が大人で、恐縮したり申しわけながったり、 『このご恩は必ず』と何度もくどく言い募ったりしたら、 そこまで満足できただろうか。 無防備に心を開いてくれる幼い存在の前に、 彼らも心が開くことができたのでは。 真実は真実を呼び、率直さは率直さを呼ぶ。 まっすぐに必要としてくれて、まっすぐに喜びで応えてくれる。 そのまっすぐさに、彼らも自分の心の殻を脱ぎ、 必要とされる悦び、人を喜ばせることのできる喜びが 自分の中に確かにあることを認めざるを得なくなった。 .:・:*:' ☆ ':*:・:. クリスマスに、幼い子どもたちにプレゼントを贈り、 飛び跳ねて喜ぶさまを見るとき、 より多くのものを得ているのは、与えた側かもしれない。 作者アンゲラー(ウンゲラーとも表記するようです)はこの絵本を 娘のフィービーちゃんに捧げています。 このことから、私はこの絵本はアンゲラーの精神的自叙伝なのではないかと 勘ぐってます(^^; 若い頃は、大人社会に反抗して、強引な要求を繰り返していたのではないでしょうか。 普通の若者らしく。 そんな怒れる若者アンゲラーのもとへ、ある日、 自分が守らなければ路頭に迷ってしまう小さな天使が舞い降りるわけです。 娘の誕生です。 「えものは なんにもなかったので、 かわりに ティファニーちゃんを だいじにかかえ、 かくれがへ・・・。」 このページの、ティファニーちゃんを大事に大事に抱きしめる泥棒の顔・・・ はじめて授かった我が子を愛しむ顔にしか見えなくなってくるから不思議です。 そして、社会や周囲に要求ばかり突きつけていた怒れる若者も、 娘を愛し育てる過程で、与え育み愛する悦びに目覚めていく・・・ そんな自身の心境の変化をつづった絵本なのではないでしょうか。 ●『モチモチの木 』 斎藤 隆介 (著), 滝平 二郎(絵)、 岩崎書店 ~~あらすじ~~ 峠の猟師小屋で、ジサマと二人っきりで暮らしている豆太。 人一倍臆病で、夜に一人で外へ出ることができない豆太だが、 ある初雪の舞う夜ふけ、 急病に倒れたジサマのために 助けを求めて 夜の峠道を一人走り出す。 寝巻きのまんま。 はだしで。 はんみちもあるふもとの村まで。 そしてその夜、豆太は不思議なものを見た・・・ 大好きなジサマのためなら 強くなれる。 幼い男の子が 冬の夜に遭遇した奇跡を 情感あふれる切り絵で描く名作。 「じぶんでじぶんを よわむしだなんて おもうな。 にんげん、やさしささえあれば、 やらなきゃならねえことは きっとやるもんだ。」 p30より ':・:*:. ☆ .:*:・:' どんなに幼く、 どんなに無力な存在でも、 愛する人を守るためならば行動できてしまう、 人とはそんな生き物なのだ。 大切な人のためなら強くなれる。 『もちもちの木』の表紙では、しわくちゃのジサマが、 愛しくてならないという風情で豆太を抱きしめている。 豆太がジサマのために夜道を走り出したように、 ジサマは 豆太のために 毎日を 生き抜き、 無事猟師小屋に帰って来ていたのだろう。 豆太を独りおいて死ねるわけがない。 この年で、まだ青ジシを追っかけて 肝を冷やすような岩から岩への飛び移りを やってのけることができるのも、 豆太がいるからだろう。 お腹をすかして待っている豆太のもとへ、 手ぶらでは帰れない。 人は、大切な人が居て、始めて強くなれる。 必要とされなくて、どうして強くなんてなれるだろう? 信じて待っていてくれる人がいなくて、 どうしてがんばれるだろう? 愛する、ということは惜しみなく与えることなのだと、改めてそう思う。 君には 大切な人がいますか? 人は・・・ 大切な何かを 守りたいと思ったときに、本当に強くなれるものなんです (TVアニメ ナルトより) .:・:*:' ☆ ':*:・:. ---質問:クリスマスには、どうしてプレゼントをするのですか?--- クリスマスはイエスの誕生日です。 それでは、イエスにバースデー・プレゼントをあげてはどうでしょうか。 「でも、どうやって?」 イエスは、次のように言いました。 「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、 すなわち、わたしにしたのである。」(マタイによる福音書 25章40節) つまり、困っている人を助けたり、 誰かに優しくすることは、イエスに対してしていることとなり、 こうしてあなたもイエスにバースデー・プレゼントを贈れるのです。 「クリスマス・ラブ」クリスマスには、どうしてプレゼントをするのですか? より抜粋 ':・:*:. ☆ .:*:・:' 『すてきな三にんぐみ』と『もちもちの木』が、 本来のクリスマス精神を強く伝える絵本だということは 納得いただけたでしょうか。 クリスマスを、ただのお祭り騒ぎの日、イベントの日、とするのは もったいない。 大好きな人 身近な人の幸せを願う日、 お互いに喜びを分かち合う日、 自分にできる精一杯の行為で誰かを支える日 だと、 子どもたちにも伝えることができたら、素敵ですよね。 『すてきな三にんぐみ』 トミー=アンゲラー、偕成社 * 読んであげるなら4歳くらいから 『モチモチの木 』斎藤 隆介 (著), 滝平 二郎(絵)、 岩崎書店 * 読んであげるなら4歳くらいから
by tamahomishio
| 2004-12-17 15:03
| 魂に効く絵本
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