ちょっと間が空きましたが、シリーズものの続きです(^^)
私が最初にTVアニメ「ナルト」にはまるきっかけになったのは、我愛羅という敵役と主人公のナルトとの闘いの放映でした。 孤独の中で愛を知らずに育ち、それでもなお、光を信じ、光を追い求めて生きたいナルトと。 孤独の中で愛を知らずに育ち、だからもう、心を閉ざして闇の世界に引きこもっていたい我愛羅と。 そんな二人が、TVの中で戦っていました。 「仲間だと?! ふざけるな! 自分のためだけに闘え!それが強さだ!」と我愛羅は叫んでました。 「守りたい人がいて、それではじめて人は強くなれるんだ! 俺は仲間のために闘う!」とナルトは叫んでいました。 まさに、私の内面のせめぎ合いを見せられたと思いました。 「ロードオブザリング」の中でも、スメアゴルとゴラムが似たような言い争いをしていましたよね。 ひとつの人格の中の、明暗の部分の押し問答・・・。 確か去年の夏ごろの放映だったと思います。 それ以来、ずっと「私の中にはナルトと我愛羅の二つの人格がいて、いつもせめぎあう」と感じて暮らして来ました。 人前に出るのが怖い私は「我愛羅」(というより、不信感ゆえのビクビクさ・オドオドさかげんはむしろゴラム? 我愛羅ならば強いからね~)。 怖いのを押して、それでも子育てコーチングセミナーを開いたり、人とかかわりお役に立って行こうとする私が「ナルト」(こちらもむしろスメアゴルかも)。 子育てコーチングセミナーの前にお腹が痛くなる私は「我愛羅」(というよりむしろゴラム)。 痛むお腹をさすりながら、新聞社にチラシをファックスしたり、たくさんの人に知ってもらおうと心を砕く私が「ナルト」。 「ナルト(スメアゴル)」が偉いと、私の中のその部分こそが正しい、と、そちらばかりを応援し、「我愛羅(ゴラム)」の存在を否定し、押さえつけ、閉じ込めてしまっていた・・・。 それが、ブリージングセラピーの時にやっと気がついた、私の体内で怒りと憎悪にもがき苦しむ藍色の竜の正体でした。 (つづく)
私は、対人恐怖と自己否定の塊となって、殻に閉じこもって生きてきました。
それは消極的とはいえ、あきらかに攻撃であり、復讐でした。 世の中に対する、人間に対する。 そこでまたアニメ「ナルト」の話になるのですが(^^; 私が最初にナルトにはまるきっかけは、我愛羅という敵役の存在でした。 夕食時、居間で、くつろぎながら息子が見ているTVが何気なく視野に入ってきて。 我愛羅とナルトの対決の回の放映でした。 その内容があまりに私の魂の傷に触れ、すごい勢いで引き込まれ、最後は息子を押しのけてティッシュ片手に号泣している私がいました。 ごくごく簡単にかいつまんで説明しますね。 我愛羅という少年は、体内に怪物を封じ込まれて生まれた。 そのあまりに強大な力のため、 村人から「化け物」と疎まれ恐れられ、ずっと一人ぼっちで育つ。 幼い我愛羅が他の子たちと遊びたくて近寄っていっても、「化け物がきた!」と、禍々しいものを見る目でクモの子を散らすように逃げていく・・・。 唯一、我愛羅に優しくしてくれたのが、死んだ母の弟である養育係。 だが、ある日、その彼までが我愛羅を襲った。 我愛羅の力を恐れた実の父の差し金だった。 我愛羅の内なる怪物に返り討ちにされた養育係は、「嘘だ!」と泣きながらすがりつく我愛羅に、父の命令であること、そして 「姉もあなたなんか愛していなかった。姉はあなたを生んだせいで死んだのだ。」 と告げる。 「私もあなたなんか愛していなかった。ずっと憎んでいた。」と・・・。 「あなたは愛されてなどいなかった!」と。 そのとき、我愛羅の中で何かが壊れる。 「ようやくわかった。ボクはひとりだ。 もう誰も信じない・・・ 愛さない・・・ ボクはたった一人だ・・・」 で、主人公であるナルトも、そっくりな生い立ちなんです。 孤児であること。 体内に化け物を封印されていること。 それゆえ村人から憎まれ、孤立し、一人ぼっちで大きくなったこと。 でも、その後が違う。 ナルトは淋しい生い立ちゆえに、自分を認めてくれた人とのつながりを大切にする。 友情に篤く、こんな自分に親切にしてくれた師を慕い、他の村人からも認められたいからと努力を惜しまない。 明るく、オープンハートで、まっすぐで率直。 我愛羅は、誰も信じない。 誰も愛さない。怒り狂い、世界を呪っている。 心を固く閉ざし、決して心を許さず、「もう誰も信じない」「誰も愛さない」「自分以外の人間を殺すために戦う」。 そんな二人が、TVの中で戦っていました。 まさに、私の内面のせめぎ合いを見せられた・・・。 孤独を知り、寂しさを知っているからこそ、人を信じ人とつながって人のために生きていくのを選びたい私と。 迫害し、拒否し、傷つけた世界を決して許さない私と。 もう誰も信じない、自分を含めだれも愛さない、もうこれ以上傷つきたくない私。 そんな恨みと憎悪と怒りに満ちた私と。 それでもなお、光を信じ、光を追い求めて生きたい私と。 だからもう、心を閉ざして闇の世界に引きこもっていたい私と。 (つづく)
私の中で、ものすごい怒りと憎悪に悶絶しながら暴れている竜。
最初、そんな存在が私の中にいたことがすごく意外で、そして徐々にとても納得できました。 先日、ここでも書いたように、私は魔女狩りに遭った過去生があるんじゃないかと思っているんですね。 生まれつき、根強い自己嫌悪と自己否定と対人恐怖があった。 それは、怒りと憎しみの裏返しだったんだ・・・。 「よくも仲間と私を迫害してくれたな!許さない、絶対に!」 という・・・。 「よくもあんな目に遭わせてくれたな!! よくも、よくも!」 という・・・。 ブリージングセラピーで、お腹の痛みにフォーカスし、そこに竜の存在を感じるまで、全く気づきませんでした。 一方的に被害者だと思ってました。 ひどい目に遭い続けて、自己否定と対人恐怖に苦しみ続け、それでも人を信じ社会に貢献して生きようと努力している健気な私。 そんな自己イメージでした。 こんなに恨みと憎しみと怒りのどす黒いエネルギーを撒き散らしていたなんて・・・ 自己否定も、対人恐怖も、そう思ってみれば、消極的な復讐でした。 対人恐怖は 「お前らなんかに誰が心を開くもんか!」 「誰がお前らなんかを信用するか!」 そういう不信感と拒否の表現でした。 自己否定は “こんな世の中、こんな人間たちへの徹底的な拒否、否認” でした。 「もう誰も愛さない」(昔こんなタイトルのドラマがありましたよね) 「自分自身も含めて、もう誰も愛さないし信用しない」 こんな痛々しい、すべてに対するNOでした。 (つづく)
もう一週間まえになりますが、Rosemaryさんにブリージングセラピーを受けました。
見ていきたいテーマは「魔女狩りの記憶について」。 しかし、よっぽど封印が強いのか、なかなか何も感じられず、なにも見えないのです。 ただ、お腹がひどく痛くなっていきました。 痛むので両手をお腹に乗せていたのですが、まるでエイリアンでも入っているかのように、グリングリンと激しく腸が動くのです。 痛みもその激しい動きに応じて、背中、胃の辺り、下腹、と動きます。 「その痛みに焦点を当ててみてください。どんなエネルギーなんでしょうか。」 浮かんできたのは、“藍色の竜”。 「その竜は、何を訴えているのでしょうね。」 怒り。 激しい怒りのエネルギー。 目をギラギラと血走らせ、歯をがちがちと鳴らし、よだれをたらしながら、激しい怒りと憎悪に悶絶している。 渾身の力で壁に体当たりし、落ち、また体当たりし、落ち、それを繰り返している。 絶望的なまでの怒りと憎しみに、理性は完全に失っている。 呪い。 「俺はクズだ。でもお前らはもっとクズだ!!」 「全員皆殺しにして、それから俺も死ぬ!!!」 「殺す!殺す!殺す」 「許さない!呪う!呪い殺してやる!」 そんな言葉が聞こえてくる。 そんな呪詛と憎悪のどす黒いガスを吐き散らしながら、周囲の壁に体当たりを続けている・・・ ああ、だからこんなにお腹が痛いんだ。 お腹の中で暴れているのは、その竜でした・・・ (つづく)
なんだか熱く過去生の記憶について語ってしまいました。
まるで自明の理であるかのように語りましたが、まだ私の中にためらいと猶予はあります。 だって、事実かどうか、確認できないことですもんね。 ただの空想、ただの妄想かもしれない。 でも、ひとつ言えるのは、このストーリーについて語ることが私にとって意味がある、ということ。 ある意味で物語療法(ナラティブセラピー)。 私が私自身の生きづらさ、自己不信を乗越えるために、このストーリーは必要であり、有効であった。 私にとっては真実だった。 このストーリーについて思いをめぐらせ、湧き上がってくるさまざまな感情を味わい、共感や理解を示してくれる仲間と語りあうことは、とても大きな意味を果たした。 その結果、「私は自己不信を乗越え、根強い対人恐怖を乗越え、人のお役に立っていく」という結論に行き着くことができた。 頭ではとっくにその結論は導きだせていた。 でも、体感覚レベルでは腑に落ちていなかった。 体感覚レベルで納得するためには、「どれほど怖いのか」「なぜそこまで怖いのか」を表現するストーリーと、「そこを乗越える勇気」「その後得られるつながり」などのストーリーが必要だった。 そのストーリーに沿って感情を沸き立たせ、体感覚で(まるでありありと思い出しているときのように)恐怖、許し、決意、高揚感、つながり感を味わうこと・・・ 私の奥深いところでこの体験は真実の体験として経験された。 それはまさに私にとって、癒しの過程だった。 全て、過去生の記憶って、そういうことだと思う。 事実なのかどうなのか、論証のしようのないこと。 だいたい、論証できたとして、それがなんだというのか? ただ、その人にとって、そのストーリーを味わい、語ることが意味があるならば、ぜひそうすればいい。 その人が、その人らしいより良い人生を輝いて生きることに、何かの助けになるならば。 私は輪廻転生説を採用する。 私は魂には過去生の記憶がある、という説を採用する。 その記憶が今生に大きな影響を及ぼす、という説を採用する。 今生での生き方が、来世がどんな人生になるかを決める、という説を採用する。 なぜなら、私はその考え方で世界を見るといろんなことが腑に落ちて明快になるので気に入っているから。 ただ、それだけ。 私は決して、「これが正しいのに、その正しさが分からない人たちはおバカ」みたいなスタンスにだけは立ちたくないと思う。 「私はこの説を採用しました。 あなたは違う説を採用するんですね。」 こんなスタンスでいたい。 私がこんなことを書きたくなった理由には、どこかで「再び迫害される恐怖」を感じてるという事実があります(^^; 過去生の記憶について書くなんてヘンな人、と思われたら攻撃されるかもしれない。 非科学的な人、狂信的な人、ということで誹謗中傷されるかもしれない。 この不安について昨日、私のコーチに訴えると、「もう迫害されない、という現実を選択すればどうですか」と言われてしまいました(^^; さすが私のコーチ、いいことを言います。 私はもう既に迫害からは多くを学びました。 もうこの学びは私には必要ありません。 私は今生では、認められ受け容れられ社会で活躍していく人生を選びます。
「NARUTO」の第26巻は二、三週間前に読んでいて、ズドンと重く胸に響いていました。
そのときはなぜここまでグサッとくるのか分からなかった・・・。 それがタロット講座中のマリアさんやwingさんやさゆりんとの会話で、ピタッとはまりました。 「私がみんなを死に追いやっていたのかもしれない」 その罪悪感を後悔の涙とともに吐き出すことができた・・・。 私にとって大きなブレークスルーでした。 しかも、その当人たちかもしれない人たちを前にして。 そして、wingさんが「あなたのせいじゃない」と泣いてくれたこと。 さゆりんもその後こんなコメントをくれました。 「たまちゃん、ありがとうね!!! 本当に感謝しています。 魔女狩りの時代のときだって、ずっとそう思っていたよ。 たまちゃん、ありがとう!って。 私たちは、つながっているっていう心を持っていたし、 そのことに誇りを持っていたし、友情が嬉しかった。 あ、涙出てきた。」 許されたのだ、と感じました。 実は既に許されていたのだ、と・・・。 そしてなぜ私がこんなに「セラピストを目指している人」、「ヒーラーを目指している人」、「ライトワーカーの卵たち」を応援することを大切に感じているか、その理由が分かった気がしました。 罪滅ぼしなんですね。 償いなんです。 でも、こけてる人を助け起こすのには積極的で熱心でも、先に立って旗を振るようなことはできないと感じていた。 また失敗したらイヤだから。 自分に自信がないから。 自分にそんな資格はないと感じていたから。 でも今回、mirohiさんの「私タロット習ってみたいんですよねー」のひと言に応じてタロット講座を企画してみて、たくさんのライトワーカーさん方(またその卵さん方)が集まってくれた。 そして皆さんすごく喜んでくれた。 「東京まで行かなければ受けられないと思ってました!」 「すごくためになりました!」 「満足してます!」 マリアさんが見たように、このメンバーが過去生での「魔女学校」のメンバーならば。 私が自分を責めていた「仲間を魔女狩りに追いやってしまった事件」の当事者たちならば。 それがまたこうして巡りあえたのならば。 そしてこうして私が企画した催しでこんなに喜んでくれるのならば。 そしてもし本当に私は許してもらっているのならば。 シカマルじゃないけど、「今度こそうまくやりたい」と思った。 今度こそ、役に立ちたい。 今度こそ、うまくやりたい。 今度こそ。 失敗して、それで終わりではなく、こうして再会してやり直すチャンスが用意されているならば。 こうして私の企画で喜んでもらえるならば。 もっともっと役に立ちたい。 もっともっと全力を尽くしたい。 自分を責めながら悶々と内にこもっているような自己満足的な償いではなく、自分の100の力を総動員してできることに取り組むような、そんな積極的な償いをしたい・・・ 私にできることならなんでもする。
「魔女学校」のような場で、私は指導者的立場だった・・・
(今ここで話題に上げている「魔女」とは黒魔術で悪魔を呼び出すような存在のことではありませんよ^^;。 医者なんていない昔の農村で、薬草を集めては病気の人に処方したりするシャーマン的な存在の人のことを言ってます。 現代風に呼べばヒーラーでありセラピスト!) 「それでか!」「わかった!」というようなヒラメキがありました。 私の魂は、ずっと人々に知識を伝えるような指導者的立場だっただろう、ということは、今まで色んなところで言われてきていました。 「え?そう?ヨイショしてくれてありがとう^^」くらいな気分で聞き流してきていましたが・・・。 マリアさんが、タロット講座中に 「このメンバーで、みんなで『魔女仲間』として共に学んだ過去生があったわよ。やっぱりその時も、先生はよーじゅ先生で、そのアシスタントがたまちゃんだったわよ。」 と教えてくださったとき、その時たまたま隣に座っていた楽天仲間のwingさんとさゆりんも、声を揃えて「やっぱり?!」と言いました。 「だから魔女狩りの記憶があるのかなあ」と。 そのとき、私の中で何かがパチリと音を立ててはまりました・・・ 私が色んな知識を教え、セラピストやヒーラーやシャーマンに育て上げた人たちがいた。 その人たちは、私が教え導いたせいで、魔女狩りにあって、殺された・・・ そう思うと、全てが符号するのです。 パズルで、ミッシングピースがあるべき場所にはまったときのように。 私の激しい自己否定、自己不信、罪悪感の理由が、突然クリアになった気がしました。 私を責める内なる声は、いつもこんなことを言うのです・・・ 「私の判断はすべて間違いだから。 私の行動はすべて間違いだから。 私の言うことはすべて間違いだから。 また失敗するから。 またすべてを失うから。 だから、私には人前で発言するような資格はない。 だから、私は何も言ってはいけない。 私の言葉を信じてついてきてくれる人たちを作ってはいけない。 また守ってあげられないから。 また失ってしまうから。 私のせいで、私のせいで、私のせいで!」 マリアさんを中心に和やかに談笑している中、ボソッと 「私、たぶん、たくさんの人を教えたり導いたりして、そのせいでみんなを死なせてしまったことがあると思う。 それがその『魔女学校』のときかなあ。 私が教えたせいで、魔女狩りで死に追いやってしまった、って自分をひどく責めたんじゃないかなあ。 私のせいだーっ、って・・・」 こうつぶやくと、wingさんが予想外の激しい反応を見せてくれました・・・ (つづく)
私は、ここでもよく書いてますが、生まれつきすごく強い自己否定と、そして罪悪感を持って生まれているんです。
私が私であることがばれたら、また迫害を受ける。 わずか二歳や三歳の頃からひどい対人恐怖症で、場面緘黙症でした。 家から一歩外へ出て、家族以外の人と話そうとすると、恐怖に身がすくみ、声が出ないのです。 無理をすると裏声ならなんとか出たので、完全な場面緘黙症というよりは場面緘黙症的傾向といったほうがいいのかもしれませんが。 そんな状態で、幼稚園も小学校も、友達と遊んだ記憶はありません。 怖くて怖くて声も出ないのに、一緒に遊べるはずもなく・・・友達なんて、一人も居ませんでしたから。 休み時間は、自分の机に一人ただじっと座っていました。 幼稚園の頃は、一人で部屋の隅で体を丸めてうずくまっていました。 そしてまた、それだけでなく「私の判断はすべて間違っている」という確信的な自己否定が、なぜか物心ついた頃からはっきりとありました。 自分に自信なんて、ゼロでした。 自己嫌悪と自己否定のかたまり、という珍しい幼児でした(^^; 幼児どころか、胎児のときからですけどね。 母のお腹の中に居たときから 「またなんの役にも立てないんじゃないか、 また失敗するんじゃないか、 また愛する人を守れないんじゃないか」 というものすごい不安を持っていたことを、ヒプノセラピーを受けてありありと思い出した過程を、ここでも以前書きました。 私は予定日を大幅に過ぎてから生まれたのですが、その恐怖と不安から、生まれることに抵抗していたんですね。 ただ魔女狩りに遭っただけなら、迫害恐怖、対人恐怖だけでいいと思うのですが、なぜか強い自己否定・自己不信・罪悪感がある。 「また役に立てない、また守ってあげられない」という・・・。 「私のせいだ」という・・・。 なんでだろう?どんな記憶があるというのだろう?とずっと不思議に思っていました。 それがマリアさんの言葉で「はっ」とひらめいたことがありました・・・ (つづく)
えっと、今回のよーじゅ先生のタロット集中講座@小樽、20名近くの方に参加していただいたわけですが。
参加者さんの中には初対面の方もたくさんいらっしゃったのですが、お話をうかがってみると、占い師さん 、セラピスト、ヒーラー、エネルギーワーカーさん、とライトワーカーせいぞろい、という勢いでした。 今回が初対面だった参加者さんの一人、マリアさんと、たまたま隣り 合わせに座りました。 マリアさんはヒプノセラピスト兼タロット占い師であり、過去生とか色々見えてしまう方だそうです。 で、講座中に突然、「あ、今見えちゃった」とおっしゃいます(^^) 「このメンバーで、みんなで『魔女仲間』として共に学んだ過去生があったわよ」と。やっぱりその時も、 先生はよーじゅ先生で、そのアシスタントに私がいたそうです。 その時たまたま楽天仲間でもあるwingさんとさゆりんもすぐ近くに座っていたのですが、声を揃えて「やっ ぱり?!」と・・・。 「だから魔女狩りの記憶があるのかなあ」と。 私も、とても思い当たる記憶があり・・・ (つづく) < 前のページ次のページ >
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