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赤井川お泊まり企画のご報告!

やっと落ち着きました~

今日はまだ二人お泊まりしてますが(笑)

(というわけで、コメントへのレスもメールの返信もまた滞ってますが、ごめんなさいね!)

延べ・・・何人が我が家を訪れたんだろう???


4/28~5/1、怒濤の数日間でした(^^)


いやあ、楽しかったです~

  連日の深夜までの話し込み。

  ワイン。

  波動のグループワーク。

  散歩。

  対面コーチング。


やっぱり私は人が好きなんだなあ、としみじみ。

毎日充実していました。

毎日、私は幸せでした(^^)


みんな、大好き~!!!!



波動のグループワークもすごい良かったですよ!


先生方の吸引力で、先生方と会って話した人が次々に参加を表明されるので(^^)、
前夜になってもまだ参加人数が増える増える・・・


とうとう、17名にまで増えました。

びっくり。



そしてまたその内容の濃いこと。



波動のグループワークについて、経験していない人に説明するのはすごく難しいのですが。

一言で言って、人との関わり方を学ぶ感じ。

人の出している波動への共鳴を体験する感じです。



本当に、響きますよね。


リアルな感情って、周囲の人の胸を直撃する。



「波動」。まさに「波動」ですよね。

空気をさざ波のように震わせて、何かが全員の胸に伝わっていく。

それを何回も何回も体験しました。

最初は受信機だった人たちが、感情の波動を受けることで感動し、そこで感動の波動の発信器となる。

相互に発信器・受信機を繰り返すことで、その波動を増幅していく。


言葉の必要のない、深い共感。

自分の内側からこみ上げてくる強い想い。

理屈ではない共鳴・共感。



人って、いいものです。

やっぱり、「海が大陸と大陸をつなぐように、感情が人を結びつける」のだと実感しました。
# by tamahomishio | 2006-05-01 19:56 | イベント情報

こんこんと湧き出る泉のように

ここのところ、ちょこっとへこんでしまうようなささやかな出来事が続きました。

「いったい今、私に何が起こっているんだろう?」

自分に起こったこと一つ一つを丁寧に見直してみました。



するとわかったこと。

すべて、私の中の同じスイッチが押されているのです。


  「私は、大切にされていない(;;)」と思ってしまうような、スイッチが。



私は大切にされたいのですね(^^)

子どもっぽい願望ですね(^^)。



私は『あたたかい心の交流』がしたいのです。

目の前の人と、心の触れあいを実感したい。

それが得られないとき、私はへこむのですね(^^;



目の前の方が大切な存在なので、私は自分の時間を割くのです。

「仕事だから」「代金をいただいているから」ではない。

その人が好きだから、その人と心を通わせたいから、

私は貴重な限りある時間を割き、エネルギーを使うのです。



  私は人の顔と名前を覚えるのが異様に苦手で、

  声を掛けられて「どなたでしたっけ」とお返事することもしばしばです(ごめんなさい!汗)。

  もともと、人の顔と名前を覚える分野のメモリがすごく少なかったのに、

  最近は関わり合う人の数が膨大になってきたので、

  完全に容量オーバーしてます^^;

  これからもきっと覚えきれないと思いますが、ごめんなさいね。

  それでも大切に思ってますから。





「ありがとう」と言って欲しいとか「感謝してほしい」ということではなくて。



交流がしたい。

 
心の触れあいを感じたい。


心を開いた会話がしたい。


真っ直ぐ向きあって、自分にとっての真実を伝え合った、と思える満足感が欲しい。


例え、万が一その内容が耳に痛いものであっても、

表面的なお世辞を聞かされるより百倍嬉しい。




ここのところ、たまたま立て続けに起こったささやかな出来事はみな、


私の方は心を開いて手を差し伸べるような気持ちで近づいたのに、

相手の方の反応が「スルー」だったり「拒絶」だったり、

もしくは「引かれた?」と思ってしまうような、

一線を画されるようなものだったりするものだった
、という点で、共通しているのですね。



私は心の痛みを感じずにいられませんでした。


そのとき届いたかめおかゆみこさんの「今日のフォーカスチェンジ


題して、「ただ感じ、ただ手放しなさい。」


出だしの数行を読んで、「これは私のことだ!」と感じました(^^;


  人間関係のなかで、
  相手が、どうも自分に
  冷たくあたるとか、
  不当にあつかわれている、
  と感じることがあります。


あいたたた・・・と思いました(笑)

そして、かめおかさんはこう締めくくりのです。


  相手の問題ではないのです。

  あなたが何を選ぶか、
  何を決めるかが大切なのです。


(全文はリンク先のかめおかさんのブログでお読み下さいね。)



ああ・・・・


と思いました(^^)


私は「感謝して欲しいとかありがとうと言って欲しいとかいうことではない」と

言いながら、見返りを求めていた、と(苦笑)


私が渡した(と思っている^^)「温かい気持ち」に見合うものをよこせ、と要求していました(汗;




私のするべきことは、ただ、温かい気持ち、温かいストロークを投げ続けること。

返ってこようと来まいと全く気にせず。

こんこんと湧き出す泉のように。

ただただ、私の内側から自然と生まれてくる思いやりや親愛の情を流し続けること。



私の心の師匠、かめおかゆみこさん、いつもありがとうございます!


もう手放します、もう傷つきません! (できるかな?^^)
# by tamahomishio | 2006-04-19 02:57 | コーチングにもつながる考え方

波動療法ワークショップ体験記!

波動療法ワークショップが無事に終了しました。



直前になって参加が危ぶまれた友人も無事参加でき、

また、開催まで一週間を切ってからぱたぱたとお申し込みをいただき、

予想以上の盛況となりました(^^)

ありがたいことです。。。



「必要なものは全て与えられる」のですね。

やはり宇宙の働きを信頼して、お預けすればいいのですね・・・。

感謝感謝です。



波動療法、今回初めて講義を受けました。

波動の個人セッションは受けたことがありましたが、理論について学ぶのは初めてです。

すごい新鮮な体験でした~。



「自分自身の本質の根源」のお話、そして「意識の7つの層」についてのお話、興味深かったです!

うなりながら耳ダンボで聞き入ってしまいました。



で、分かったこと。


私が今までの試行錯誤で気がついてきたこと、学んだこと、人に伝えていきたいと願っていることと、

波動の先生方が伝えたいと思っていることは

ほぼ同じだ!

ということ。




今までも、同じ山の頂を目指している先輩だということは良く分かっていて、尊敬しながら後塵を拝する気分でいたのですが、


ここまで伝えたい内容が一致しているとは・・・驚きました。


同じ山の頂を目指すにあたって、選んだ登山道まで同じだったようです!

後を追わせてくださいませ~>先生方!



真理は外側にはない、自分の内側にある、っていうこと。

真理も神も、自分の外側に求めても、むなしいだけでなく危険だ、ということ。

自分自身と深いレベルでつながることによってしか、神も真理も体験できない、ということ。

決断すること、覚悟すること、腹を決めることの大切さ。

それらさえできれば、周囲は音を立てて変わり始める、ということ。

それらさえできれば、夢も目標も叶ってしまう、ということ。

「人はその個人的な世界の神だ」ということ。





   .。.・:*: ☆ .:*:・:'




2/17の日記『「ここではないどこか」への憧憬』で、

私の奥に潜み続けていた「寂しさ」、「厭世観」について書きました。

そして、この日記の末尾に、


>「波動療法一泊二日ワークショップ(3/18-19土・日)」には期待!


と書きました・・・



この期待は裏切られませんでした。

まさに、この一連の気づきの嵐の総まとめとも言えるような・・・



改めて、「生きよう」と思いました。

腰を据えて、腹を決めて、生きよう、と。



まだドヨドヨに落ち込んで、体の調子までよくなくってベッドで寝ている時、天使に問いかけました。

「なぜ生きるのですか?」と。

その途端、答えが与えられました。






問いかけをした直後に、


別室で静かに遊んでいた次男が、突然私の寝ている部屋に駆け込んできて、

ただ黙ってほおずりとチュウをし

また部屋から駆けだしていきました。



「これが答えだ」と思いました。

天使が問いかけに答えてくれた、と。



人と温かく関わっていくために。

愛しい存在と、肉体を通して触れあうために。

そのためにこの三次元の地球に生まれてきたのだ、と。



「波動療法ワークショップ」で、その気づきが血肉となりました。



「波動療法ワークショップ」で、人と関わろうとしている人の姿の美しさを見ました。

腹を決めて、人と真の触れあいをしようとしている人の姿に、激しく胸を打たれました。

私が「ライトワーカーの支援」をミッションに掲げているのは、「人と関わろうとしている人の姿が好きだから」だということに、改めて気づきました。



私は、人と温かく関わり合うために生まれてきました。

私は、人と真に触れあうために、肉をまとって三次元現実社会に生まれてきました。


私と、関わり合ってください。

私と、真に触れあってください。

どうか、あなたもまた、「生きる」と、「心を開いて人と触れあう」と、腹をくくってください。

傷つくことを恐れて、心を閉じないでください。

ぶつかることを遠慮しないでください。

ぶつかることを遠慮することが、婉曲な拒絶であると、気がついてください。

それがどれほど人を寂しがらせるか、気がついてください。


私は、あなたと真に触れあうために、生きています。

私はここにいて、あなたを待っています。



- ・ - ・ - ・ - ・ - ・ - ・ - ・ - ・ - ・ - ・ - ・ - ・
スピリチュアル・コーチ 珠帆 美汐
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道内在住者必見!
北海道 知的探検わくわく情報
# by tamahomishio | 2006-03-19 02:07 | 自分の本質を輝かせる!

この世界に恋して

私の暮らす北海道の山村では、もう一週間くらい前から銀世界です。
(今日なんか、吹雪だったりします^^)

でも、本州ではまだ紅葉だったりするのですね!


では、この絵本もまだ遅すぎない?とあわてて取り出した一冊
  

メルマガ魂に効く絵本  ~絵本は恋に似ている~ 2005.11.30 第12号

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『ボビーとそらいろのヨット 』

  マーガレット・バーディック 作、童話館出版(3歳くらいから)

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 ~あらすじ~


  ボビーはカワウソの男の子。

  ある秋の日、アナグマさんのお店で、素敵なヨットを見つけました。

  
  大きな白い帆のついた空色のヨット。

  「ビーバーさんの作品。いいものと交換します」
                  の札がついてました。



  こんな素敵なヨットと交換してもらえるほどの「いいもの」って
  いったいなんだろう?


  きれいに色づいた森の木の葉は すぐに茶色くなってしまう。

  おいしい小枝は 食べたらなくなってしまう。

  川底できらきら輝く小石は 乾いたら何でもないただの小石。


  

  なかなかいつまでも喜んでもらえるものが見つけられません。



  夕日を眺めながらヨットのことばかり考えていた日の夜、

  ボビーは空色のヨットで遊ぶ夢を見ました。



  ヨットは金色の夕焼けの海に浮いていました。

  帆は、綺麗な秋の森の色。

  空のお月様は、きらきら光る小石のようでした。


  次の朝、目が覚めるとすぐに、

  ボビーは絵を描き始めました。




  美しい色の絵の具で、夕日のしずむ、カエデの森を描きました。

  そのなかにきれいな木の葉と小枝と、
 
  きらきら光る小石を、いっぱい描きました。



   「すばらしい絵だよ、ボビー!」とアナグマさんがいいました。

   「これなら空色のヨットと交換してあげるよ。

      きっとビーバーさんがいつまでも喜んでくれるからね。」





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'






この美しい世界に恋して、恋いこがれて、

その想いの結晶が「芸術作品」なのだ。



いくら心奪われても、

決して手の中にとどめておくことのできないもの。


 秋の森の 木の葉の色。

 金色の 夕焼け。

 濡れた小石が 川底で日の光を反射する。


 帆に風をみなぎらせたヨットが描く マリンブルーの海の白い航跡




「恋う」は 「請う」であり

      「乞う」である。


どうかもう少し近くに、と請い願うこと。


どうか触れさせてください、と、

どうか一瞬でも長く ここにとどまってください、と乞うこと。



「恋」は「来い」にもつながる。

決して手に入らぬもの、決して手に届かぬものを、

声をからして呼ぶ声。


それが、芸術作品を生み出す原動力。



決して手には入れることが出来ないけれども、

希求することをやめることもできない 崇高なものへの憧れ、恋。


決して所有することのできないものから引き起こされる心の震えを 

いかに上手く再現するかの 技術の追求に、

その恋うる想いを昇華させる。


それが芸術。




ビーバーさんは大きな白い帆を張った青いヨットの姿に

なにかをかき立てられたのだろう。

だから模型を作らずにいられなかった。


その心の震えや胸の高まりを

もう一度呼び起こしてくれるほどの質の高さを目指して、一心に。



ビーバーさんの感動と憧れがこもり、

手塩にかけて丁寧に作られたヨットは、

同じくらいの想いと熱意の込められた

ボビーの絵となら、交換できた。


良い作品はそれなりの対価を求めるのだ。




この絵本の最後のページで、

ビーバーさんはボビーの描いた絵を眺めながら、手仕事に励んでいる。

窓の外は雪景色。

雪に閉ざされた冬の間、ビーバーさんは温かい室内で、

木を削って新しい作品を作りながら、ボビーの絵を愛でる。


身の回りの世界の美しさに、幼い少年が息をのみ、目を見張った。

その純粋な悦びと驚きがそのまま表現されている、絵。

冬の過ごし方として、なんて豊かなことだろう。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




一瞬のきらめき、一瞬の感動を

     形にしてとどめておきたいのだ。


その心の震えや胸の高まりを

もう一度呼び起こしてくれるもの。

それを所有したいのだ。




私たちはこの地球に恋して生まれてきた。

その美しさに触れる度に胸が躍る。

心の琴線が高鳴る。



恋いこがれるばかりで

決して手に入れられない はかなくも崇高な現象たち。


 蜘蛛の糸につらなる朝露。

 雨上がりの虹。

 真っ黒い雨雲を切り裂いて走る稲妻。

 天青石の空に浮かぶローズクォーツの夕焼け雲。

 美しく咲き誇り、あっという間にしおれていく花々。

 あどけなさをすぐに卒業してしまう幼子たち。

 いずれ 別れの時が来る 愛する存在たち。



決して手中に収めておくことは出来ないけれども、

希求することをやめることもできない。



私たちは その苦しい恋を 芸術に昇華し続ける。



どうかもう少し近くに、どうか一瞬でも触れられますように、

と請い願う。


どうか一瞬でも長く ここにとどまっていてくださいと乞う。



その想いこそが芸術作品を生み出す原動力。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




動物たちが主人公の可愛らしいミニサイズの絵本。

でもその可愛らしさにだまされてはいけない。

この絵本には、「芸術とは何か」がつまっているのだ。



幼いうちにぜひ出会って欲しい一冊。




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'




『ボビーとそらいろのヨット』 
マーガレット・バーディック 作、 わたなべ しげお 訳
童話館出版(読んであげるならおよそ三歳から)

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# by tamahomishio | 2005-12-01 16:17 | 魂に効く絵本

エルマおばあさん

木の葉が色づき、舞い散る 晩秋となりました。

ここ 北海道では、初雪も舞いました。


全ての生命活動が一旦休止するかに見える、

北の国の厳しい冬の訪れです。



そこでこの季節、「死」を見据える絵本を選んでみました。

  

魂に効く絵本  ~絵本は恋に似ている~ 2005.10.27 第11号

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『さよなら エルマおばあさん 』

  大塚 敦子  写真・文、小学館(10歳くらいから)

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 ~あらすじ~


  ある夏の終わり、エルマおばあさんは、お医者さんから、

  病気でもう長くは生きられない、と言われました。





著者の大塚敦子さんと 以前から家族ぐるみのつきあいで、

孫のように可愛がってくれていたというエルマおばあさん。



その大塚さんが、許可を得てエルマおばあさんの自宅に住み込み、

介護を手伝いながら撮った写真で構成された

ドキュメンタリー写真絵本。



外出前にお化粧するエルマおばあさん。

老人クラブの朝食会で友人たちと談笑するエルマおばあさん。

庭で草花の世話をする姿。



その後、

 ゆっくりと 衰弱していくエルマおばあさんの姿。



  「それは、体が旅にでる準備をしているからなんだよ」
  本書19pより



点滴を付けた寝姿。

そして、延命治療をしないで欲しい、という要望書に
サインするシミの浮いた手。


弟との、子どもたちとの、親戚たちとの、

別れを惜しむシーンの数々。




とうとう、歩けなくなります。


酸素吸入器の細いチューブを鼻に刺した顔は、
以前よりも 一回り小さく見えます・・・。



  そして、まるでゲームでも楽しむみたいに、
  こんなことも言いました。

  「わたしは、自分の死ぬ日を決めたからね。

  その日付を紙に書いてかくしておいたから、

  私が死んだあと、さがしてごらん。」   p43より





そしてある日、

その日がエルマおばあさんの決めた日だ、ということが、

家族にもわかりました。



その夜、みんなは寝ないでエルマおばあさんにつきそいました・・・





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





 “この本は、子どもたちだけではく、お父さんお母さんにも、

 ぜひ読んでいただきたいと思います。

 そして、子どもといっしょに、

 「人の命には限りがあり、だれにも必ず死を迎えるときがくること」や

 「死が訪れる瞬間は苦しくないこと」を

 話し合ってほしいと思います。”

   本書の帯より(ホスピスケア研究会代表 季羽倭文子さんの言葉)




      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





エルマおばあさんの淡々とした姿。

それが写真である、という重み。

迫り来るリアリティ。




最後まで、強いまなざしを持ち続けていた彼女。


しわくちゃの、一回り小さくなった顔の中の

意志に満ちたまなざし。

力強い瞳。




それは、


  自分の死に方を自分で決めた満足感と誇りで


        輝いているのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





死は破滅でも敗北でもない。

死は忌むべきことではない。


人生という作品の大切なエンディングなのだ。

クライマックスを経たあとのエンディング、大団円。


一年は、冬があって初めて完全な一年なのだ。

1日は、夜があって初めて完全な1日なのだ。



天寿を全うした老人の死は、

季節が来て舞い落ちる木の葉のように静かで

そして 尊厳に満ちている。



それは、物事のあるべき姿を思い起こさせる。



季節は巡る。

夏が過ぎ、青々としていた木々の葉は 色を変えていく。

そしてある時、そのときが来たことを知る。

葉は、風に手を取られ そっと枝から離れる。

旅立つ。

それはとても自然なこと。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





考えてみれば、


今まで生きてきた数え切れない数の先人たちも、

一人残らず死んだのだ。


今生きている私たちも一人残らず死に向かいつつあるのだ。


誰一人死を免れないのだ。

むやみに恐れることはないのだ。

誰にだって訪れることなのだ。

全員が通り抜けるところ。




  すごく普通のこと。

  特別なことじゃない。





命は大いなる流れに浮かぶ泡沫だ。

かつ消え、かつ結び、を繰り返す。

泡が消えても、元の流れに戻るのみ。

そして、また泡を結ぶこともあるのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





しかし、死は痛ましい。

 嘆きと 喪失の哀しみに 満ちている。



パール・バックの「母の肖像」の中の一節を思い出す。




   「(こどもは天国で安らかにしていると)考えたからといって、

         母親の腕と心が充たされると思うんですか?」


            (中略)


   「肉体は何でもないでしょうか? 

    私は自分の子どもたちの肉体を愛しました。(略)

    私が生んで、可愛がって、洗ってやり、着せてやり、

    面倒を見てやった肉体は、私には貴重な宝です。」
  
         『母の肖像』P・バック 新潮文庫p123より
    




私たちは地上で生きている。

肉体をまとって生まれることを選んだのは、
五感で生きることを味わうため。

感覚や感情を通して事物と関わるため。

肉体を通して他者と関わるため。



 「海が大陸をつなぐように、

   感情が私たちをつなぐよすがなのです」

              本田健さんの言葉より。




肉体を通して、私たちは触れあう。

感情を通して、私たちは触れあう。



地上の肉をまとって、

初めて私たちはお互いの重みと温かさを知ることができる。



子どもの身体のずっしりした温もりを膝に感じ、

恋人の髪の感触にドキッとし、

老いた母の細い肩をもみながら 

  幼い日に抱きしめられた 母親の力強い腕を 思い出す。



肉体が喪われるとき、

私たちは触れあえなくなる。

お互いの温もりを感じることが出来なくなる。



それを嘆くのは当然のこと。

去る者も残されるものも 名残を惜しむのは当然のこと。




死は破滅でも敗北でもない。

むやみに恐れることではない。

忌むべきことではない。

しかし、一時の別れとはいえ、別れは別れなのだ。


文字通り、今生の別れを

心ゆくまで悼み、大いに嘆き、惜しもう。


それができて、初めて私たちは心の平安へと行き着くのだ。





      ‘:・:*:. ☆ .:*:・:'





一人の老女の いのちが燃え尽きるさまを淡々と記録し
その後の喪失の空間の痛みまで切り取った、感動の一作

『さよなら エルマおばあさん 』
  大塚 敦子  写真・文、小学館(10歳くらいから)
# by tamahomishio | 2005-10-28 16:09 | 魂に効く絵本