長い連載が完結しました。
お付き合いくださった皆様、温かく心のこもったコメントをくださった皆様、ありがとうございました。 こういう、ささやかだけれども明るい火花をきらめかせることだけを追い求めたいな、と改めて感じました。 他人の言動をコントロールしようとしては、「約束が違う」とか「信じてたのに裏切られた」と騒ぎ立てるような、そんな浅いレベルの“エセ信頼”は手放したい。 みんな、「つながって」いる。 でもそれを「繋ぎとめたままに保とう」というのは無理なことで。 それをなんとか「繋ぎとめたままにしておきたい」と色々やってはかなわず、落ち込んだり傷ついたり、みたいなことを繰り返してきたのかな、という気がします。 ひと言でいって、執着であり、依存ですよね。 自分の存在が危うくて、それを誰かに保証して欲しかったのです。 誰かを繋ぎとめることによって。 誰かの言動をコントロールすることによって。 今回、「確かなものって一体なに?」と突き詰めて突き詰めて探っていって、自分の存在の核のような、芯のようなものに行き当たりました。 唯一確かなものって、自分の存在。自分の本質。 そしてそれは、誰かの言動によって価値を測られるような、そんなものではない。 人の本質は、誰かの言動によって損なわれたり価値が下がったりするような、そんなものではない。 誰かがどんな振る舞いをしたとか、誰かの言動がどうだったとかにいちいち反応しなくていい。 ただ、「核」から「核」を、「芯」から「芯」を見る。 自分自身の輝く本質を、確信を持ってギュッと握り締めることさえできたら。 そうすれば他の方の輝く本質にも焦点を合わせることができる。 それができればたいていのことは恐れなくていいんだ、と学びました・・・。 過去につらいトラウマを抱えている方へ。 傷ついたインナーチャイルドがまだ内側で泣いている、という方へ。 乗越えましょうね、お互い。 魂は自由なはずです。 乗越えられない試練は与えられないはずです。 全てはベストのタイミングで与えられたギフトのはずです。 想念が現実を作るはずです。 いつまでも、過去に私たちの人生を損なわせ続けるわけにはいかない。 そう思いませんか? 乗越えられますとも。 いっしょに手を携えて、歩き続けましょう。 フラワーエッセンスなども助けになってくれますよ。 ちなみに、私はRosemaryさんに一ヶ月前にフラワーエッセンスを調合してもらったんですが、それがなんと、以下のような内容でした。 ☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆ ミルクウィード~~~過度の依存症や幼児がえり、感情的退行に。またアルコールや薬物、過食や過眠によって意識を鈍らせようとする人に。魂の非常に深いレベルで滋養を与え、退行現象を起こしている核の部分を再生させる能力を育て、健康的な自我や自信、自立心を育てます。 ウィロウ~~~被害者意識や、自分を正当化してまわりを責める人、ネガティブな感情に執着する人に。魂に弾力性や柔軟性をもたらし、受け入れ、許すことができるよう促します。人生の状況を自分が作り出していることに気づき、自分の人生に責任を持てるようになります。 ホリー~~~自分が他者や愛から切り離されていると感じることから来る、嫉妬、羨望、疑い、怒り、憎しみ、恨みなどのネガティブな感情に。ハートを愛で満たし、愛と許しをもたらし、他の人間に愛を差し伸べることができるよう促します。自己の定義を限られた狭いものから、広がりのある、他者をも包括するものへと切り替え維持するのを助けてくれます。 イブニングプリムローズ~~~胎児期や乳幼児期に受け取った拒絶感や孤独感、虐待から「自分は誰からも望まれない存在」と思い込み、人との深い感情のふれあいやかかわりを避けたり、性的、感情的な抑圧のある人に。魂の深い核の感情に気づきと滋養を与え、心の傷を癒し、素直に愛情を表現できるようにサポートします。 ☆~★~☆~★~☆~★~☆~★~☆ そのときは自覚的にはなにも感じてなかったはずなんですが・・・ずばりじゃないですか~(><; なんでわかったんだろう?(^^; このエッセンスを、ちょうど東京で飲み終わるんです。 そう、そのきっかけとなったトラブルが起こった日の午前中に、まさに飲み終わりました。 そしたら、こんな風に気づきの嵐が起こり、一皮剥けることとなりました。 おそるべし、フラワーエッセンス。 おそるべし、Rosemaryさん。 #
by tamahomishio
| 2005-07-24 23:45
| 過去生の記憶?
そしたら、CTI代表の島村剛さんが
「僕は、決して、珠帆さんを一人になんかしません!」 と力強く断言してくださいました(;;) 一層激しく泣きじゃくりながら「インナーチャイルドが嘘つき!って言ってます」と答えました。 それが本当だったらどんなに嬉しいか。 でも、できない約束なんかもうしないでほしい。 でも、剛さんは繰り返し言ってくださいました。 「僕は、決して、珠帆さんを一人になんかしません」 その二回の言葉にこめられた語勢が、私の胸を打ちました。 深いところから出された、真実を語る声でした。 表面的な浅いところから出された声とは全く違う、力強くて人の胸に直球で届く声でした。 内容ではなく、声にこもった真剣さ、思いの深さが私の心を揺さぶりました。 想いだけは真実なんだ。 それが、突然、その時、腑に落ちたんです。 状況がそれをゆるさないことは、ままあるだろう。 (ただでさえ多忙な剛さんが、どうやって私をひとりにしないでおくことができると言うのでしょう?) でも、その思いはきっと、真実なものなんだ。 「約束を守ったか守らなかったか」「実際にどのような言動を取ったのか」など、表面的な行動レベルに焦点を合わすのではなく また、物理的地理的距離も超えて、 私たちは、お互いの「想い」の強さや真実さを信じていくしかない。 そうなんですよね・・・ 状況がそれを許さないことは、ままある。 でも、想いだけは信じよう。 それ以外に信じるに足るものがあるだろうか? 熱烈に愛を語り合ったカップルが破局を迎えて別れることなんてよくあって。 でも、以前、「愛してる!」と囁きあったその瞬間の想いだけは真実で。 お母さんが子どもに「何があってもお母さんが守ってあげる」っていくら言っても守れないことはままあって。 でも、その想い、そう言いたくなる想いだけは真実で。 私もまた、愛しい我が子を置いて、突然天に召されるような事態になるかもしれない。 でも、私が幼い子どもたちを置いて去らなければならなくなったとしても、私が彼らを愛した事実は変わらない。 私が彼らを抱きしめる、その瞬間の温もりを覚えていてほしい。 過去生での母も、今生での母も、「大好き」「大切」「ずっと一緒」とよく言ってくれていた。 その想いが真実なことを、私は実はよく知っていて・・・(;;) 私は裏切られてなんか居ない(泣) 残念なことに、状況がそれを許さなかった。 それだけなのだ・・・ 想いは真実。 込められていた深い想いは真実でした。 大切な大切な家族だって いつ喪ってしまうかわからない。 今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。 家族も、友達も、世界も、確かなものなんて、何一つ無い。 それは、どうしようもない事実。 そんな中、私は何を信じて生きればいい? この問いの答えを、私は見つけました。 人との関係においては、「その瞬間瞬間に飛び散る火花を」。 人と人が深いところで触れ合った瞬間に飛び散る火花、それ以外に信じるに足るものがあるでしょうか。 誰かと誰かの魂が触れ合う。 その神聖な瞬間、人と人の間にスパークする火花。 温かな共感。 存在の奥深いレベルで、何かと何かが共鳴を起こす。 人と人とは、まるで宇宙の虚空に浮かぶ惑星同士のように孤独。 なのに、お互いの間に横たわる深遠の闇を超えて、神聖な火花が飛ぶ奇跡の瞬間っていうのが、確かにあって。 (今回日記に寄せられた温かいコメントの数々に、私はそれら火花を見ました・・・。真実の触れ合い、真実の共感を感じました。ありがとうございました。) そしてそれは、流れ星をビンに閉じ込めていられないように、 そよ風を缶詰にはできないように、 一瞬一瞬過ぎ去っていってしまうもの、つなぎとめてはいられないもので。 だからこそ、貴重で。 飛び散る火花は宇宙の虚空に消えていっても、その明るさ、美しさ、その瞬間の感動を私はありありと覚えている。 そしてまた、火花は必ずや何回でもスパークするだろう。 周囲に人がいてくれる限り。 私が、人と誠実に触れ合い続けるのをやめない限り。 人との触れ合い以外の部分では、私が何を信じようと、どんな信念を持とうと、自由なのだ、と。 裏づけとか証拠とか保証とか根拠とか、どうせないんだし、と。 今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。 でも、あるかもしれない。 今日、人工衛星が降ってきて潰されるかもしれない。 でも、そんなことは起こらないかもしれない。 何を信じようと自由ならば、 人がその個人的な世界の神ならば、 私は、自分が一番心地よく、一番力強さを増す信念を選ぼう。 明日もまた世界は安全に続くと、まずは信じよう。 この階段は崩れない、そう信じてのぼっていこう。 別れを恐れず、喪失を恐れず、私は人に心を開き続けよう。 思い起こせば、私はその元々のトラブルの相手の方との間に、たくさんの美しい共感の火花を飛び散らせてきていたのです。 「実際にどのような言動を取ったのか」など、表面的な行動レベルに焦点を合わすのではなく 飛び散った火花の明るさ、美しさ、その瞬間の感動の記憶に焦点をあわせたい。 その瞬間瞬間の想い、共感、感動、温もり。 それらは真実のものでした。 この東京旅行全体が、まるで人生の昇格試験のようだったと感じています。 そして、答えが見えた、と。 そして私は自分が人生の昇格試験には合格できただろう、と感じています。 1.「信頼とはなに?」 →なんの根拠も保証もなくても、あえて身を投げ出して預けることです。 なんの保証もないことを、覚悟の上で。 裏切られて痛い思いをするのも、自己責任で。 その瞬間瞬間の、自分にとっての真実を重んじること。 それに従って、身を投げ出して預けること。 その結果を、引き受ける覚悟をすること。 2.「応援してくれる人が居るからがんばれる? じゃあ誰も応援してくれなければ、あなたはどうするの?」 →誰一人応援してくれなくても、誰一人私を認めてくれなくても、私は前を向いて歩き続けます。 それが私ですから。 今回、激しい苦痛の中で、たくさんの方に支えられて、私はわたしなりの答えを、光を、見つけました。 私と関わってくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました。 心からの感謝を捧げます。 #
by tamahomishio
| 2005-07-22 23:42
| 過去生の記憶?
昨日、『天災で孤児になった過去世の記憶』は、この実際の記憶を「例えて言えばこんな衝撃」と物語として表現したものかもしれません、と書きました。
でも、ゆっくりかみ締めてみると、私の感覚としては、先に『天災で孤児になった過去世の記憶』があり、さらにその傷を上からえぐられたのが「要らない子として母から選ばれてしまった五歳の頃の実際の経験」と思ったほうがしっくりきます。 だからこそ、ここまで痛むのだ、と考えたほうが、しっくりくる感じ。 親しくて信頼していた人から、前言を翻されたり、約束を守ってもらえなかったりした時の「まただ・・・!」という怒りと悲しみ。 「いつもこうだ」 「いつもいつも、みんな守れない約束ばかりする」 「どうして、信頼させておいて裏切るんだろう?」 「守れない約束なんて、しないで欲しい。自分がどれほど残酷な行為をしているのか、わかっているんだろうか?」 この怒りと悲しみと裏切られ感。 そんな感情を味わうたびに感じる、世界が根底から崩壊してしまうような不安。 その根っこは、その過去生の記憶にあると思うと、なにかと矛盾なく符号する感じ・・・。 ま、真実なのかどうなのかは検証のしようがないわけですが。 13日、CTIのコーチ認定資格試験のあと、CTI関係者の飲み会に試験受験生も誘っていただきました。 試験の最中からずっと「何も確かなものなんてない」「他の友人だろうが、夫だろうが、子どもだろうが、いつ私を置いて去っていくのか、誰にもわからない」「私が信じていたものって、なんてはかないんだろう」という想いに囚われ、ずっと涙ぐんで鼻をすすっていた私ですが、飲み会の席でとうとう泣き始めてしまいました・・・(恥; *^^*) コーチ仲間はみんな、とても聞き上手で、人の心に寄り添うのが上手です。 そして、明らかに私の様子はおかしかった。 そんな敏感で優しくあったかい仲間から、どうしたのかを聞かれ、 「資格コースが終わってしまうのが本当に淋しい。 私は北海道在住で、他のCTIコーチ仲間からは一人で離れてる。 資格コースが終わってしまうと誰かから電話がかかってくることも、もうない。 私は一人で放り出されてしまう、私は一人だ、と感じてる。」 というふうに説明して、そのまますすり泣き・・・。 そしたら、CTI代表の島村剛さんが離れた席に座っていらっしゃったのに、わざわざ私のとこに来てくださって、 「僕は、決して、珠帆さんを一人になんかしません!」 と力強く断言してくださいました(;;) 思わず胸に迫るものがあり、一層激しく泣きじゃくりながら「インナーチャイルドが嘘つき!って言ってます」と返事をしました(^^; それが本当だったらどんなに嬉しいか。 でも、できない約束なんかもうしないでよ! できない約束で期待させるのが、どれほど残酷なことか、わかってるの?! (つづく) #
by tamahomishio
| 2005-07-21 23:41
| 過去生の記憶?
5歳頃に天災に遭い、家族も家も、それどころか住み慣れた村全体を失って孤児になってしまった過去生の記憶(かもしれないイメージ^^)をヒプノセラピーで思い出しました。
その記憶とダブる思い出があります。 私が5歳の頃、父と不仲だった母は、家出を計画します。 でも、子どもの数が多かったので、全員を連れて出るわけにはいかない。 「あんたは置いていく」と私は面と向かって母から宣告されました。 茶の間の奥の部屋の、本棚の前でのことでした。 私は立っており、母は正座してました。 正面から私の顔をのぞきこみ、「**(妹の名)はまだ赤ちゃんやし、**(弟の名)は甘えんぼやし、連れていかなしょうがない。あんたはママがおらんでも大丈夫やろ? な?」と。 今でもありありとおぼえています。 幼い私にとって、目の前が真っ暗になるような衝撃だったことも。 それでも、泣くでもなく駄々をこねるでもなく、黙ってうなずくしかなかったことも。 結局、母は家出を断念しました。 でも、次の朝、弟や妹の服はいつものタンスの引き出しの中にはありませんでした。 母はトランクの中から着替えを取り出し、妹や弟に着せていました。 私の服は、いつも通り、タンスの引き出しの中に入ったままでした・・・ この、母から「要らない子」として選ばれ、「あんたを捨てる」と宣告された思い出は幼い私には重すぎ、ずいぶん長い間封印されていました。 中学生のとき、フロイトと出会い、深層心理とか抑圧などの言葉を知った私は、当時のあまりの生きづらさの理由を解明するために、自己分析に没頭し、その過程でこの記憶の封印を解きました・・・ こんなにもありありと細かいところまで覚えているのに、それまで意識の表面には決して上らせないようにしてきた自分の心理機能。 あまりにつらくて、受け容れがたいから。 自分が崩壊しそうになるから。 涙をこぼさずにこの記憶について思い出せるようになったのは、ここ数年のことです。 母は、とても愛情深い人でした。(今もそうですが。) 子どものことを溺愛する、どちらかと言えば過保護・過干渉の人でした。 私に対しても、抱きしめたりほお擦りしたりチュウしたり(^^)、大好きとか宝物とか、たくさんの言葉をくれました。 そんな母が私を要らないと言うならば、一体どこの誰が私を愛するだろう? そんな母が私を捨てようとするならば、いったい誰を信じられるだろう? 母のように、どんな人も必ずいつか手のひらを返すのだろうか。 耳に心地良い言葉をくれる人に限って、いつか手ひどく裏切るのだろうか。 「天災で孤児になった過去世」の記憶は、この実際の記憶を「例えて言えばこんな衝撃」とノベライズしたものなのかもしれません。 私にとって、それまで慣れ親しんでいた世界が崩壊してしまうようなインパクトんだよ、ということを物語として表現する・・・。 もう何も信じられない、もう誰も愛さない、みんな嘘つきだ、みんな裏切り者だ。 なんで私を置いて行くの? 本当に私が母親やきょうだいを失って平気だと思うの? 大人になった私も、身近な人を失いそうになることに耐えられない。 自分の全存在を否定されたように感じてしまう。 世界が崩壊してしまうように感じてしまう。 その秘密はこの記憶の痛みにあるんでしょうね。 母は結局、家を出なかったのですが。 私のために、不幸な結婚生活に踏みとどまってくれたのですが。 私はそれほど愛されていたのですが。 母が自分の人生を捧げてくれるほどに。 (つづく) #
by tamahomishio
| 2005-07-20 23:39
| 過去生の記憶?
ローズ大ハッピーさんのヒプノで出てきたのは、みなしごになってしまった過去生でした。
以前にもちらりと出てきたことのある過去生です。 それが、より一層細かく詳しく出てきました。 5歳か6歳くらいの女の子。 のどかな農村で、お母さんとおばあちゃんと幼い弟とで、とても幸せに暮らしている。 お父さんの姿は出てこなかった。 居なかったのかもしれない。 そのせいか、お母さんから「お姉ちゃん」としてすごーーく頼られ、必要とされて、とても張り切っている。 張り切ってお手伝いをし、進んで弟の面倒を見ている。 お母さんから「お前が居なかったらどうなっていたやら」というような言葉をいっぱいもらって、すごく誇らしい。 必要とされ、愛されて、とても幸せだった毎日。 そんな平凡で満ち足りたある日、山に薪を集めに行った。 帰って来てみると・・・ 村がなかった。 土石流? 土砂崩れ? 地震? なにか、そのような自然災害のせいで、村が、壊滅していた。 女の子は一人ぼっちで、取り残されてしまった。 大好きなお母さんを、かわいい愛しい弟を、優しく温かいおばあちゃんを、泣き叫びながら探し回る。 引き裂かれそうな絶望と恐怖。 打ちのめされる圧倒的な孤独。 一人おめおめと生き残ってしまった自責の念。 誰一人守れず救えなかった罪悪感。 そして、怒り。 強烈な、怒り。 裏切られ感。 「家族なんだもの、いつも一緒だよ」 「大好きだよ、絶対に離さないよ」 「何があっても一緒にいようね」 お母さんはいつもそう囁いてくれていた。 守れない約束なんかしないでよ! 私を置いて行かないでよ! 約束が違うよ! 全部、嘘じゃん! お母さん!お母さん!お母さん! ローズさんが、「本当にお母さんはあなたを裏切ったのでしょうか。嘘をついたのでしょうか」と問いかけてくれる。 「嘘じゃないなら・・・裏切ったわけじゃないなら・・・ 私がみんなのところに行かなければ! みんな、待ってるから! 私を探してるから! 淋しがってるから!」 最初、つぶやくような低い声だったのに、途中からこみ上げてくるものがあり、最後は悲鳴のような声で号泣。 身近な人との絆にも、世界へも、すぐに信頼が揺らいでしまうのは、この記憶のせいだったんですね。 大切な大切な家族だって いつ喪ってしまうかわからない。 私を置いて天に召されていくのは今日かもしれない、明日かもしれない。 今日、外出先から帰宅したら家がないかもしれない。 さっきまであった村が、一瞬あとには跡形も無いかもしれない。 家族も、友達も、村も、世界も、確かなものなんて、何一つ無い。 それは、どうしようもない事実。 そんな中、私は何を信じて生きればいい? 私の住んでいる世界というものの危うさ、もろさ。 世界の構成要素は、信頼して寄りかかるには、あまりにもはかない。 ヒプノセラピーセッションは、ハイヤーセルフに出てきてもらって、「それでも人を信じ続けなさい」という言葉をもらって、終わりました。 そのときはスッキリしたと感じたんだけど、まだまだ残っているものがありました。 この階段は、足を置いたら崩れるかもしれない。 そう感じてしまったら、もうその階段を登れない。 この人は、いつ居なくなるかわからない。 そう思ってしまったら、もう 人に心を預けられない。 さみしいさみしいさみしいさみしい 何をしていても涙があふれてきます。 7/13のコーチングの資格試験の本番も、ティッシュで鼻をかみながら、目の周りを真っ赤にしながらの受験でした(^^; でも、その夜、私は私なりの答えを、私なりの光を、とうとう見つけたのです。 (つづく) #
by tamahomishio
| 2005-07-19 23:37
| 過去生の記憶?
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